青木健
講談社現代新書(2012)
"パレスティナ発の「聖書ストーリー」は、メソポタミア平原を越え、イラン高原へ。東方へ膨張をつづける聖書ストーリーに対し、諸民族はいかに向き合ったか。最大の土着宗教ゾロアスター教、「真のキリスト教」を自称したマニ教、イスラームのグノーシス=イスマーイール派――。13世紀に「異教の魔神たち」が封じ込められるまで、宗教的想像力がもっとも奔騰した1000年を描きだす、東方の精神史。 "
古代オリエントの土着宗教が、キリスト教とその背景であるユダヤ教を含めた「聖書ストーリー」の伝来にどう対応していったかを、マンダ教、マーニー教、ゾロアスター教ズルヴァーン主義、アルメニアのミトラ信仰、イスラム教におけるグノーシス主義(イスマーイール派)、9〜13世紀におけるザラスシュトラの解釈論に着目して鳥瞰図的にまとめている。
各宗教の紹介を簡単に。
マンダ教:「旧約聖書」を全否定してヨルダン川で成立した宗教。当然「新約聖書」も否定しており、「サービア教徒」としてこっそりとイスラム圏で生き延びる(今現在も1万人ぐらい信者がいるらしい)。ヤハウェは「勘違いした造物主プタヒル」(よわそう)であり、モーセもイエスも欺瞞の呼びかけを行う悪魔の使徒。彼らとは別に「天界のヨルダン川」に住む偉大なる生命がいて、モーセたちの囁きに惑わされずに頑張ると死後「光の世界」に到達する。
マーニー教:三世紀にマーニー・ハイイェーが作った自称「真のキリスト教」。旧約聖書を全否定し、「新約聖書」と「マーニー教七聖典」を聖典とする。神話のどの役割にもイエスの名前を当てはめるほどイエスが好きで、「天上界の輝けるイエスが肉体を持つわけがない」という教義と「十字架上の受難で苦しむイエス」というエピソードが矛盾したりもするが、それもイエスへの愛ゆえである。ゾロアスター教に迫害されて仏教に擬態し、ひょっとしたら今も福建省の山奥で生き延びているかもしれないとのこと。
ゾロアスター教ズルヴァーン主義:まだ二元論的な教義(善と悪の永劫の戦い)にまとまる前の、イランの土着宗教から発展した一神教的性格の宗教。キリスト教に対抗するためにペルシア帝国の「国教」として教義が固められた。無限時間を意味する神格ズルヴァーンが「息子が欲しい」と拝火の儀式をするのだが、その途中で「こんな儀式やって何になるの?」と疑ってしまったことで胎内に悪の化身「アフレマン(アーリマン)」を宿してしまう。いちおう儀式も成功して正義の神「オフルマズド(アフラ・マズダ)」も生まれる。ズルヴァーンはさんざん二人の対立を煽った後に姿を消し、オフルマズドはすったもんだの末にアーリマンを地獄に幽閉して世界は平穏を保つ。人間は死ぬことによってアーリマンがまき散らした悪(地水火風)を滅却する浄化装置(後には霊魂・知性・芳香が残る)。
ミトラ信仰:アルメニアの土着神。信じられていた当時の文字文化が貧弱だったこともあり謎に包まれているが、「地下に密室を掘って男だけで寄り集まり、短剣で牛を屠って再生を経験する」という意味深な儀式によってローマで一世を風靡する。その後アルメニアではキリスト教が隆盛し、ゾロアスター教を押し付けてくるペルシア帝国と長年戦っていたのだが、451年の「カルケドン公会議」に出席できなかったせいで異端扱いされてしまう。ミトラはキリスト教伝来の時点で廃れてしまっていたのか、聖書の「サブストーリー」になることもなく、民間信仰としてひっそり生き延びているとのこと。
イスマーイール派:イスラム教シーア派の一派。後継者争いに敗れて野に下るが、後にファーティマ朝を打ち立てて復活する。不可知のアッラーが「あれ(アラビア語でクン)」といったらその「クン」という言葉自体が具現化してしまった。しかもそのクンは「クーニー」という女の子の形をとって現れ、不可知のアッラーを知覚できずに「私って創造主よね」と勘違いしてしまった。あわてたアッラーはクーニーの上と下に三つずつ「階梯」を作って戒め、そのせいで世界の展開が止められなくなり宇宙が開闢した。人間は天上界のことをすっかり忘れて生きているが、告知者に叡智を授与されることによって「秘儀」を獲得し、天上界とのつながりを取り戻すことができる。待っててねクーニーちゃん!――ところが後にプラトンと結びついたせいでクーニーちゃんの存在が全否定されるというオチ。そのせいか知らないが、教団が内部分裂を繰り返してあっという間に衰退してしまった。
ザラスシュトラとは何者か:9世紀から13世紀に行われた他宗教の立場からのゾロアスター教解釈論。単なるアーリア人神官説、キリストの誕生を予言し「東方の三博士」がやってくる原因となったが、結局神の預言を託されていない偽予言者であり「聖書ストーリーの枠から弾かれた人物」と否定的に評価する説(要は神様とは関係なく一人で勝手にすごい預言者だった)、聖書ストーリーの正当(ザラスシュトラ=アブラハム)説など。最終的にはイスラム教の中に居場所を見つける。
ゾロアスター教がイスラム教に吸収されたことにより、「聖書ストーリー」の伝来から始まった東方オリエントの宗教展開は終わりを迎え、イスラム教スンニ派の安定をもって「完成」する。
読んでて楽しかった。まさか東方オリエントの土着宗教がこんなにおもしろいとは思わなかった。
図を使って分かりやすく説明してくれている。特に冒頭で各宗教が「聖書ストーリー」をどう受容したかをざっくりまとめてくれていたので、その後の各論が頭に入ってきやすかった。
本家のグノーシス主義についての説明はあまりないので、そっちの予備知識を先に仕入れてから読んだほうがよいかもしれない。仕入れてからまた読んでみたい。