2023年01月07日

キャスト・アウェイの尻すぼみ感〜ロビンソン・クルーソーというジャンルの死〜

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アマゾンプライムで見ました。
運送会社の幹部が飛行機事故で無人島に取り残されてサバイバルする話。

飛行機事故に至るまでのところで尺を使って、「時間厳守に厳しい」「忙しすぎて歯医者に行く暇もない」「恋人に指輪を渡す」というようなキャラ立てとフラグ構築に勤しみ、いざ無人島へ。

ロビンソン・クルーソーもののお約束イベント。「苦労してココナッツ割る」「波を越えられない」「半泣きで火起こし頑張る」「漂流物(バレーボール)に顔描いて友人にする」などを着々と消化していく。そうして四年の時間が過ぎる。
問題は「このイベント消化いまさらやっておもしろいのか」
引いては「無人島ものを映画という形式でいまさらやっておもしろいのか?」というところに尽きる。
はっきり言ってもっと展開が読めないおもしろサバイバル番組が、ちょうどアマプラにあるのだ。
「孤独のサバイバー」というドキュメンタリー。
アメリカ各地からサバイバル自慢が集い、熊がわんさか出てくる危険なバンクーバー島でサバイバルするのである。どう考えてもそっちの方がおもしろい。「巨漢のトレイシーが親子熊に狙われる」ような素敵な展開がこの映画にはない。淡々と、お約束を消化するばかりである。

で意を決してボードで漕ぎ出し無事に救出されました。
でも恋人は他の男と結婚して子供を作っていました。
再会して愛の残り火を確かめたけど彼女の家庭は壊しませんでした。
という流れを経て、最後は抜け殻のようになって終わってしまう。

ほんとダメだなと思うのが、そのしょっぱい展開が「別に無人島漂流でなくても成立してしまう」点。
この主人公が宇宙に行っても戦争に行っても、恋人寝取られて悲しくなって終わることはできるんだよね。寝取られなんて夢落ちと一緒で一番安易なんだって。

だからせめて「俺はまだ一人じゃないか」「戻ってきたはずなのに無人島から抜け出せてない」というような感情の吐露が欲しかった。
でも、何も言わないんだよね。トム・ハンクスがずっともの言いたげなキメ顔をして。エモいセリフを一切言わない。
なにその強がり。せめて冒頭でそういうキャラクターにしてるんなら分かるけど。そんなクールじゃないじゃん。部下の時間管理にうるさい小物臭のする中間管理職じゃん。
脚本家の「セリフにしなくても分かるよね。あえてね」ってどや顔が目に浮かぶよう。そのせいでむっちゃ尻すぼみなんですけど。
俺ならあざとくてもそこは押さえるわ。

ってかこの主人公が「無人島生活で精神的に成長したのか結局よく分からない」んだよね。
時間管理より大事なものを見つけられたのか最後に試すべきなんだけど。最後はもう「時間に厳しい」個性なんて吹き飛んでしまっているし。
時計を恋人に返したらダメなんだって。それは「手放すに手放せないほど大事」なもので、だからこそ「最後に捨てる」展開が必要だったんだよ。
それをやって誰かに「おかえり」とでも言わせたらエモかったんだよ。

最後までお約束できないんなら無人島ものなんてテンプレで映画作ろうとするな。

こういう頭使ってない凡作が一番たち悪い。やり方次第でまだ遊べるかもしれない「無人島もの」というジャンルが、打ち寄せるゴミに埋もれて近寄れなくなってしまう。悲しいね。



posted by 雉やす at 20:27| Comment(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月11日

シンウルトラマンのきつさは何に由来するのか

アマゾンプライムで「シンウルトラマン」を見た。
――いやー、きついっす。

セリフ回しがきついっす。

特に序盤中盤の長澤まさみの長尺セリフがきついっす。
シンゴジラのときは「切羽詰まった状況」の中で「カリカチュアライズされた官僚的なセリフ」をまくしたてるのがハマってたけど。
そういう文脈抜きで「オタクの早口」を「キャリアウーマン風」の女優にやらせるのがまーじできついっす。
で無駄に顔隠して「喋ってんの誰だよ」→「誰だよ」→「誰だよ」→「誰だよ!」→「まさみかよ!!」ってなる演出は一笑いは起こるんですけど、それを「掴み」にするのは弱いっす。まさみのキャラ立てる必要なんて微塵もないっす。

ってかまさみに限らず科特隊の喋り方が浮いてるせいで「ウルトラマン」として喋ってる神永の口調、セリフ、抑揚のおかしさが浮かび上がってこないんです。「地球人たち」と「宇宙人」のへんてこで違和感ありつつもコミカルな会話になるはずが、「なんか頭はいいらしいけど中二病」くらいの共感性羞恥しかない会話になっちゃっています。まさみさんちゃんと突っ込んでください。

で、ここまで尺使ってキャラ立てるんだから「まさみも宇宙人」かと思うじゃないっすか。
違うんすよね。なんかおっきくなっちゃうだけなんですよね。おっきくなること自体はおもしろいんだけど。ええ、そこはおもしろかったです。
ずっとおっきいままだったらよかったんですけど。戻っちゃうんですよね。「ミサトさんポジション」のヒロインに。

で別にウルトラマンのストーリーラインにミサトさんいらないんすよ。
初代ウルトラマンは私、全話見ました。ウルトラマンのバディはね、井出隊員なんです。
「ウルトラマンが倒せないゼットンを人類が創意工夫で倒す」→「人類を守る役目を終えたウルトラマンは星へ還る」というあの美しい最終回のアウトラインをこの映画もなぞってはいます。井出隊員ポジションの隊員も出てきます。

で、何しましたあのおかっぱ隊員。VR会議してなんか早口で説明しましたけど、そこに熱さありました?
なくはないです。でも足りませんよね。あのおかっぱ隊員キャラ立ってないから。
本来彼がバディとしてフューチャーされるべきところを、「まさみ=ミサト」に持っていかれているから!

はい。シンウルトラマンのきつさは何に由来するのか。まさみです。
でももうこれは好みの問題かもしれません。まさみじゃなくて福原遥だったらこの映画100点だったかもしれません。福原遥が巨大化したら100点だったと思います。好みの問題なんでしょう。


良いところももちろんたくさんあります。
バトルシーンは「巨大なものが戦っている」サイズ感が出ていたし、飛行の仕方やスペシウム光線のポーズなど変にアレンジ加えていないのが非常によいです。
怪獣のビジュアルもよく、特にゼットンの最終兵器な感じが素晴らしかったです。初代ウルトラマンのゼットンむしろちょっと可愛いですからね。のちに女体化されるのも無理がないくらい可愛いので。
メフィラスは単体では素晴らしかったけど偽ウルトラマンとやること被ってるのがちょっとね……。あの政治家がごたごたする流れ二回はいりません。くどいです。

シン仮面ライダーは果たしてどれほどのものか……。
全ては「ミサトさんポジ」がいるいない、いるとしたらその出来不出来にかかっていると言ってもよいでしょう。

posted by 雉やす at 00:11| Comment(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月26日

キングコングはまだ寿命に余裕があるから見てられる映画なんよ

ネトフリで「キングコング〜髑髏島の巨神〜」を見た。

例によってアメリカ軍がベトナムの文句を言いながら謎の島を調査しに行ってひどい目に合う冒頭。
コングが大暴れしてヘリを落とすシーンは爽快感あってよかった。もちろんそこがこの映画の最大瞬間風速なので刮目するべき。

脚本の芸が細かいというか、ストーリーがどうしてもテンプレートになる分気を利かせている。

コングがヘリにヘイトを向けたのはなんで?→地質調査のために爆弾落としてたから。
コングが美女カメラマンを助けるのはなんで?→美女カメラマンが中途半端な大きさの水牛を助けようとしていたのを目撃したから。

など、まるで現代文の問題のようにコングの内面がある程度トレースできるようになっている。
でコングの内面なんか知ったこっちゃない黒人隊長が部下の仇を取るべくいきり立つのもよい。
そうだよな、この隊長のポジションは黒人にしないとポリコレ的にしんどいよな。ここが白人だとコングがまるで黒人のようにとらえられかねないものな。
キングコングが白人の美女カメラマンに欲情してる描写が一切ないのもポリコレ配慮以外の何物でもないと思う。そんなのいちいち気にして怪獣映画作って何がおもしろいんだろうとも思う。だからコングの敵もすんげぇくだらないおっきなトカゲで何の盛り上がりもない。最低限ヘリ部隊よりもキャラクター性と戦闘力を持つ敵でなければならなかっただろうに。物語性のある敵は出せないのだ。うっかりコングが重なってしまうとまずいから。

でもコングがラストで、イケメンおじさんと美女カメラマンが二人抱き合ってコングを見上げるシーンで何かを悟って、
暴れることもなくすっと背を見せて去っていく様子には哀愁を感じた。
あの背中には寅さんを感じた。

あまりに三枚目で切なかったので実際にネトフリで寅さんを見始めた。
そしたらエピソード2の終わりがまんまキングコングの流れだった。
どんなに優しくしてくれてもな。
うなぎを釣っても親の葬式取り仕切っても、水没したのを救ってもオオトカゲを倒しても、
女は三枚目にゃなびかねぇんだわ。
寅さんは顔で笑って心で泣くが、コングもまた顔で怒って心で泣いていた。

ラストシーンはコングの怒り顔のドアップなんだけど、もうトカゲの親玉倒したのに何にそんなに怒っているの? という向きもあるだろう。
コングは一人ぼっちの自分に怒っているのだ。
これから先も原住民の小人たちを壁の向こうで飼って心の慰めにしながら孤独に耐えていくんだろう。

この映画単品だとつらいんだけど、ラストで存分に切なくなって「切ないほしい」の口になってから見る「男はつらいよ」が本当によい視聴体験だったので、両方見てない方はこれを機にぜひこの順番で見ていただきたい。
よく言うなら「切ない」コース料理の前菜であり、
ミルクボーイ風に言うなら「まだ寿命に余裕があるから見てられる映画」だった。

かわいそ猿〜。


posted by 雉やす at 23:46| Comment(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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