2017年06月18日

大江戸えねるぎー事情(水の章)/石川英輔

大江戸えねるぎー事情
石川英輔
講談社文庫
初出1990年3月



1:神田上水
 由来は徳川家康が1590(天正18年)に作らせた小石川水道。これは目白台下で神田川の水を分けたものだが、人口が増えるに従って拡張され、1629(寛永6年)頃に、井の頭、全福寺池、妙正寺池を水源とし、地中に埋めた伏桶(ふせび:木製の配水管)の長さが67キロメートルにも及ぶ本格的な上水道として完成したそうな。
 高低差を利用した「自然流下式」と呼ばれる水道で、「水道桝」や「水道井戸」と呼ばれた穴からつるべを落として汲み上げた。桝の数は神田上水だけで3600カ所以上で、だいたい30メートルから40メートルに一カ所は備わっていたらしい。当時これほど本格的な都市浄水はロンドンと江戸にしかなかったそうだ。

2:玉川上水
 年々人口が増加するに連れて神田上水だけでは水量が足りなくなり、赤坂を始めとした溜池の水質も悪くなってきた。そこで新たに着工されたのが玉川上水だった。多摩川の羽村から取り入れた水を引く大工事だったが、1653(承応2年)に着工してから一年も経たずに四谷大木戸まで43キロの水路を開通させたのだそうな。
 玉川上水の完成によって目白周辺の高台から下町南部の京橋まで給水ができるようになり、100万都市の人口を支えたのだそうな。

 時代小説を書くにもそうだけど、ファンタジー物の架空都市を作るにも便利そうな知識だなと思った。湧き水からの「自然流下式」が使えるような山と平野のマップ設定。「埋立地だから井戸を掘ってもよい水が出ない」という工事の必要性。掘りやすい関東ローム層に似た火山灰層の地質の描写。人口規模と「水道桝」の密度など大変参考になる。
 水道代の徴収システムなんかも江戸から輸入して使えそうだ。江戸時代には水銀(みずぎん)と呼ばれる水道代を地主が納めていた。これは表通りに面した土地の間口の広さによって決められていたのだとか。武家の場合には石高に準して納めたようだが、石高に比例したわけではなく、石高が高い方が割安になる逓減式になっていた。風呂屋や料理屋など水の使用量が多い場所には専用の「呼び井戸」もあったそうだが、そういう場所も使用量と水銀は比例せず、割安になっていたらしい。
 昔ファンタジー物書いててこの辺のリアリティですんごい苦労したような覚えが……。勉強って大事ですね。

 
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2017年06月17日

大江戸えねるぎー事情(あかりの章)/石川英輔

大江戸えねるぎー事情
石川英輔
講談社文庫
初出1990年3月



 いつか時代小説を書こう書こうと思っていつまでも勉強せずに何年も経ってしまったので、少しずつやっていくことにする。一冊目は「大江戸えねるぎー事情」を教科書にして、一章ずつ。

1:行燈
 江戸時代もっとも一般的だった照明器具は「行燈」だったそうな。小皿に油を入れて、それに灯芯をひたして点火する。むき出しのままだとすぐ消えてしまうので灯芯を障子紙で囲う。囲ったおかげで灯りが紙に反射してより広い範囲を照らせるようになり、一石二鳥ということらしい。
 油は菜種油か、もしくは魚油を使った。菜種油は高級品で、一升当たりの値段で比べると米の四倍も高かったそうだ。あまりお金のない庶民は魚油を使った。安くて便利なのだが、燃やすと相当魚臭いらしい。
 
 というわけで、江戸時代の長屋や横丁なんかを舞台に生活感のある話を書きたいときには、うっかり菜種油を使わせてはいけない。

「ちょっとあんた、夜中にいつまでもガサゴソしてないでさっさと寝とくれよ」
「べらぼうめうるせぇったらこの。帳簿の数が三文合わねぇでこちとらイライラしてんだよ。明日分の釣り銭が足りなかったら商売になんねぇだろうが」
「そんくらいどうにでもなるよ馬鹿馬鹿しいねぇ。油だってタダじゃないんだよ? 三文の確認するのに何文の油使う気だい」
「まだ三文も使ってねぇよ畜生め。今年のイワシは腐るほど取れたから安いんだよ。てめぇで買いに行きもしねぇで何抜かしてやがる。家で油売ってばかりのくせに」
「値段の問題じゃないんだよ。寝巻が魚臭くなるのがやなんだよ。ただでさえ臭い亭主がイワシの腐ったような臭いをぷんぷんさせてふとんに入ってくるなんて冗談じゃないよまったく」
「値段の話してたんじゃねぇか。図星さされたからって臭いがどうこう、こまけぇことを言うんじゃねぇまったく」
「あんたの鼻が詰まってんだろう。昔あたしが奉公に出てた屋敷じゃ、いつも澄んだ色の菜種油を使ってたもんさ。嫌味な臭いなんかちぃっともしない。同い年のやっちゃんが料理人の熊公と仲が良くってね。たまにこっそり油揚げなんかご馳走してもらったりして。楽しい思い出だよ。そんな楽しい思い出も今じゃあんたのせいで魚まみれだよ。ごちゃごちゃ言われたくなけりゃ菜種油が買えるくらい稼いでみろってんだ」
「あーもううるせぇな。明日稼ぐための三文なんだろうが。釣り銭がカツカツなんだよ!」
「あたしゃカツレツなんて言ってないよ、油揚げっつったんだこのすかたん」
「江戸時代にカツレツなんてあってたまるかい!」

 ――お粗末。
 「ガサゴソ」だの「イライラ」だの「カツカツ」だのと擬音の時代考証があやふやな茶番ではあるけれど、「菜種油」と「魚油」の使い分けだけでもだいぶ生活感は出せそうだ。ありがたいことである。

 さて、江戸時代の人は今よりもだいぶ夜目が利いたそうだが、それでも障子紙で透かしたぼんやりとした光では、夜中に文字を読んだり繕い物をすることは難しかったそうだ。手元を見るときだけは油を足すための「障子窓」を開いてそこから灯りを漏らすか、障子紙そのものを取っ払ってしまっていたらしい。小さな灯りを一生懸命覗き込んでいたわけだ。
 点火には火打石を使う。起こした火花を蒲の穂綿や消し炭で作った火口(ほくち)に付け、そこから薄い木片に硫黄を付けた付木(つけぎ)に移す。この一連の作業がなかなか面倒らしく、昔の人にとっては、灰の中に火のついた炭を埋めるなどして、火種を絶やさないようにするのが常識だったそうだ。「近所に火種を借りに行き〜」から始まる話もテンプレートとしてよくあったそうな。

2:蝋燭
 当時の蝋燭は行燈の三倍から五倍ほど明るかったが、櫨(はぜ)の実を精製したはぜ蝋(木蝋)を主に使っていたそうで、生産量が少なく高価だった。黄褐色の蝋を天日干しするだけで一カ月かかったそうである。
 高級品だったために、「蝋燭の流れ買い」という商売が成立していた。燭台や蝋燭立てに残ったしずくや燃え残りを目方で買って歩いたそうだ。
 主に武家の冠婚葬祭や吉原の遊郭で使われたらしい。吉原は並んだ蝋燭の灯りだけでも「不夜城」と呼ばれるくらい、庶民にとって蝋燭は縁遠いものだったそうな。

3:天然の明かり
 江戸時代は「不定時法」を採用していた。日の出前の明るくなり始めた時分を「明六つ」(あけむつ)、日の入り後のまだ薄暗い時分を「暮六つ」(くれむつ)と定める。そして昼と夜の時間をそれぞれ六等分して一刻あるいは一時(どちらもいっときと読む)という時刻の単位にしたそうな。
 一刻=だいたい2時間というのはぼんやり知っていたのだが、ずっと「いっこく」と思い込んでいたので新鮮に思った。いっときなのね。
 陽の長さに合わせて毎日変えるのは煩雑なので、立春、夏至、大寒などの「二十四節季」に合わせて15日単位で調整していたようである。今の時報に相当する「時の鐘」もこの基準に従って一刻ごとに鳴らしていたそうだ。暦は太陰暦だが時刻は太陽が基準なわけである。
 基本的に日の出と共に起きて、夜も月の明かりを頼りにしていたらしい。今よりも灯りに関する生活コストの割合が高い時代だったのだ。
 曇りや雨や新月の夜に内職や勉強をするには、「行燈」もしくは「蝋燭」を使わざるを得なくなる。「遅くまで起きてごそごそやるともったいない」という生活感覚が、江戸時代の小説を書くには必要みたいだ。
 「江戸時代に一晩夜なべで〇〇を作ったときの生産量と生産コスト」みたいな論文がどっかにまとまってたらなぁと思う。探せばありそうではある。


posted by 雉やす at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評(歴史・軍事) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月19日

日本人と日本文化/司馬遼太郎・ドナルドキーン

日本人と日本文化
司馬遼太郎・ドナルドキーン
中公文庫(1996)



”「ますらおぶり」と「たおやめぶり」、忠義と裏切り、上方と江戸の違い、日本にきた西洋人―雄大な構想で歴史と人物を描き続ける司馬氏と、日本文学のすぐれた研究者であるキーン氏がともに歴史の香りを味わいながら「双方の体温で感じとった日本文化」を語る、興趣つきない対談。”

 日本が外国から受けた影響と、その影響に染まりきらない日本の独特さ。というような話がテーマの対談。中世から昭和まで含めた幅広い知見には読み応えがある。
 特におもしろかったのが第六章「日本に来た外国人」。シーボルト、ポンぺ、アーネスト・サトー、フェノロサ、チェンバレンなど、幕末から明治にかけて日本で活躍した外国人にふれている。
 ”要するに、どんなに日本のために働いても、どんなに日本に弟子をつくっても、最終的には彼らは日本人にはなれなかったということです。”
 と司馬遼太郎が総括するように、外国から来た学問や文化を受け入れよく学び、日本流にローカライズしてしまって、原理や起源についてはさほど拘らないという、本書でふれられる日本人の特性がよく表れている章だと思う。ほんのりと物悲しくもある。
 アーネスト・サトーって日本人の洗礼名じゃなかったんだ。イギリスの人だったんだね(小並感)。

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posted by 雉やす at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評(歴史・軍事) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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