2016年04月02日

悠久の銀河帝国/アーサー・C・クラーク/グレゴリィ・ベンフォード

悠久の銀河帝国
アーサー・C・クラーク
グレゴリィ・ベンフォード
ハヤカワSF文庫(2005)



”遙かな未来、地球は砂漠に覆われ、かつては繁栄を誇った幾多の都市も廃墟と化し、ただひとつダイアスパーだけが最後の都市としてほそぼそと生き延びていた。このダイアスパーで7000年ぶりに生まれた子供アルヴィンは、変化のない生活に飽きたらず、外の世界を探険すべく旅立つが…巨匠クラークの名作『銀河帝国の崩壊』を第1部とし、ハードSFの第一人者ベンフォードが第2部を新たに書き加えた、壮大なる未来叙事詩。”

 第一部はおもしろい。不老長寿の人間たちが住む「ダイアスパー」から飛び出したアルヴィンは、テレパスが使える人間たちが住む「リス」を発見する。二つの文明の技術差や価値観の違いを通して立体的にはるか彼方の未来を描いているのがよい。
 とんちじみたロボットの使い方にも意外性があってよい。時代が時代だけあってロボットは「なんでも言うことを聞いてくれる召使い」という感じで、セキュリティシステムや脳みそはついてなさそうだが、それも味になっている。今の時代だとこういう書き方してもしらけちゃうけどね。

 第二部は難解。第一部でさわり程度に登場する「狂った頭脳」と、旧人類のクレイ、パターンの研究者(シーカーアフターパターンズ)、第一部の主人公アルヴィンらが対峙する話。
 バイオテクノロジーや木星改造など様々なビジョンに触れつつ、生態系を守るために人間のエゴ(狂った頭脳)は死ねという方向にまとめられていく。まあ、昔のSFにありがちな、エゴの代わりにエコを押し付けてくる感じのアレ。
 昔はこの手のややこしい書き方をして意味が取りづらいSFをそれなりにありがたがって読んだものだが、今となっては正直、下手な文章を丁寧に読んだってしょうがないなぁと思ってしまう。
 おもしろいSFってどんなにハードでも文章は明晰だしね。
 もっともこの本の場合は、アーサー・C・クラークがぼかして書いているところを具体的に突っ込んで発展させようというのが第二部のコンセプトなのだろうから、多少くみ取れるところはあるかなとも思う。
 でも例えば、「月の火山から絶え間なく放出されるガスの膜が月の上空を覆っているおかげで月には空気がある」みたいな無理っぽいディテールを塗りたくる必要はないわなぁ……。

 なんかこう、二人の小説家の腕の差が残酷なぐらいに表れているなと思った。

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posted by 雉やす at 02:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 書評(SF) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

時は乱れて/フィリップ・K・ディック

時は乱れて
フィリップ・K・ディック
山田和子訳
ハヤカワ文庫SF(2014)



"この町でその男の名を知らぬものはいなかった。レイグル・ガム。新聞の懸賞クイズ“火星人はどこへ?”に、2年間ずっと勝ち続けてきた全国チャンピオンだ。だが彼には時折、自分が他人に思えることがあった。ほんとうの自分はいったい誰なのか?ある日、同居する弟夫婦の子供が、近所の廃墟からひろってきた一冊の古雑誌が引き金となって、彼を驚くべき真実へと誘ってゆく…鬼才ディックの名作、ファン待望の復刊! "

解説によるとたった二週間で書き上げたそうだが、あまりにも雑な畳み方に、未完成品にすぎないという印象を受ける。レイグルが町――虚構の日常を抜け出す過程も、トラックを使うというワンアイデアばかりが目立って、見るべき駆け引きがあるわけでもない。虚構の日常もマトリックスのようなSFの仕掛けによって作られているわけではなく、ごくごく古典的なオリエント急行殺人事件(しかも視点移動で自分から種を割る)なので、これも評価できない。
 おもしろいのは序盤の閉塞感漂う日常の描写ぐらいだ。特に浮気相手とプールに行って、自虐的な物思いにふける場面は素晴らしかった。日常の中に潜むちょっとした違和感に気づく場面もよく書けていて、序盤の期待感だけはあった。

読んでてなんとなく涼宮ハルヒの憂鬱を思い出した。昔の訳はサンリオSF文庫からしか出ていなくて入手困難だったそうだが、ハルヒの作者なら読んでいても不思議ではない。ひょっとしたらハルヒの1%ぐらいはレイグルでできているのかもしれないと思いながら、ハルヒの新刊を待つ間の暇つぶしに読むのがよいだろう。

posted by 雉やす at 23:37| Comment(0) | 書評(SF) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月30日

サンドキングズ/ジョージ・R・R・マーティン

サンドキングズ
ジョージ・R・R・マーティン
ハヤカワ文庫(2005)



”こいつは奇妙だ!風変わりな異星生物を飼うのが趣味のサイモン・クレスが見つけた新たなペット、それがサンドキングズだった。指の爪ほどの大きさで、6本の手足と、3対の小さな眼。集合意識により一団となって城砦を築き、さらには城砦同士で戦争をするほどの知能がある。しかも飼い主を神として崇拝するというのだが…ヒューゴー、ネビュラ両賞受賞の表題作の他、壮大な宇宙史を背景に描きだされた魅惑の6篇を収録。”

龍と十字架の道
 1979年の作品。惑星アリオンに異端の調査に訪れた神父ダミアン。そこでは黒魔術師にして龍使いのユダがキリストといかに関わったかを主軸にした聖書「龍と十字架の道」が流行っていた。異端を広めたルキアン神父を糾弾するうちに、ダミアンの心は疑念で満ちていく――
 何を信じればいいのか分からない、というポストモダーンなテーマの話。例によってテレパスが出てくるので、そこで一癖ついている。宇宙に進出したキリスト教の描写がおもしろいが、さすがに今読むとテーマが古い感じも受ける。

ビターブルーム
 1977年の作品。厳しい冬季の中遭難してしまった少女ショーンは、荒野の中に花にまみれた不思議な建物を見つける。その中には魔法使いのモーガンが住んでいて、ここで暮らすようにとショーンを誘う。集落の語り部テセニャから「嘘つき」の家の逸話を聞いていたショーンはモーガンを疑うが――
 厳しい自然の中に暮らす少女と魔法じみたオーバーテクノロジーを持つモーガンの対比が王道ながら幻想的。後半はショーンの半生を駆け足で追いかけるのだけれど、その部分が切なくてよい。「省略」の魔法は最後まで解けない。

〈蛆の館〉にて
 1976年の作品。「白蛆」との同化を夢見ながら「肉はこび」の運んでくる肉を喰らう人間たち。アネリンら三人の少年は肉運びの後をつけて肉の出処を探ろうとするが、暗闇の中で罠にかかる。孤立したアネリンは闇の中を進むうちに人と蛆にまつわる真実を手にする。
 ぬめぬめした地下を探検するウィザードリィみたいな話。閉塞感とぬめぬめに溢れていて読むのがきついが、情報が増えてきてイメージしやすくなるとデモンズソウルっぽいすてきな画面が浮かんでくる、かもしれない。

ファスト・フレンド
 1976年の作品。超光速で動く「暗黒体」と共生し、ファスト・フレンドになった恋人メリッサ。死の恐怖から一度は共生を拒んだブランドは、今度こそファスト・フレンドになるべく暗黒体を捕獲にかかる――
 会話のできる性的玩具「天使ちゃん」とうじうじ昔話しながらメリッサの影を追い求める一方、相棒のザ・リアル女ロゼに冷たい目でなじられる可愛い(?)男ブランド。五次元への愛ゆえに人は苦しまねばならぬのだ……。

ストーン・シティ
 1977年の作品。灰色の星クロス・ワールズに閉じ込められたホールト。一向に手に入らない「船の座席」に苛立ちを募らせるうちに、深刻なトラブルを起こしてしまう。誰も寄り付かないストーン・シティの地下に逃げ込んだ彼を待っていたのは――
 ホールトが老人の冒険譚を聞くうちに冒険に憧れるようになる一幕の語りがすばらしく、その分だけオチが切ない。乾いた偽物しか手に入らないというね……。狐人との会話もカフカっぽい嗅ぎ慣れたストレスに満ちていてよい。

スター・レディ
 1976年の作品。ゴールデン・ボーイとスター・レディはポン引きのハルに目をつけられて――。直球にハードボイルドだけど、序盤でパパっと世界観を説明していないこともあって、入り込むのにちょっと時間がかかった。勝手にブレードランナーっぽい映像を思い浮かべて読んだけど、どんなもんだろうね。「ビリビリ棒」の語感とあいまって、コミカルっちゃあコミカルかも。性描写避けすぎてるようにも思えた。

サンドキングズ
 1979年の作品。ヒステリー女が水槽壊してからの展開がおもしろい。飼い主だったサイモンがだんだん走狗になっていくギャップと、殺され役がやたらキャラ立ってるのもよい。サンドキングズが飼い主の顔を彫刻する設定が中終盤にかけて不気味に効いてくる。どれか白眉を選べと言われたら、やっぱりこれになるだろうか。


 ビターブルーム、サンドキングズは文句なしにおもしろかった。〈蛆の館〉にても臨場感がすばらしい。その分グロくてきついけど。

posted by 雉やす at 11:36| Comment(0) | 書評(SF) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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