連城三紀彦
文藝春秋(2016年9月)
”薬指に結婚指輪をはめた左脚の白骨死体が山中で見つかり、
石室敬三とその娘は、その脚が失踪した妻のものだと確信する。
この事件をきっかけに、日本各地で女性の身体の一部が発見される。
伊万里で左腕、支笏湖で頭部、佐渡島で右手……
それぞれが別の人間のものだった。
犯人は、一体何人の女性を殺し、
なんのために遠く離れた場所に一部を残しているのか?
壮大な意図が、次第に明らかになっていく超絶ミステリー。”
失踪した妻から一年ぶりに電話がかかってきた。そっけない電話はすぐに切れたが、夫と娘は、電話の裏に見知らぬ男の存在を感じ取る。
その電話をかけた妻らしき女は、温泉宿の客室で顔が潰され、左脚が欠損した状態で発見された。
夫はひどく戸惑った。その温泉宿の近くの山から、別の白骨死体の一部が見つかったからだ。その一部とは結婚指輪を足先に付けた左脚だった。
妻もまた、結婚指輪を左足に付けていたのだ。果たして電話をかけてきた女が妻なのか、それとも白骨死体の方が妻なのか。
という掴みがすばらしい。よくよく考えれば変なことをやってるんだけど(普通結婚指輪足にはつけないよね)、そこを妻の脚の描写、妻に似てきた娘の脚の描写、最後に被害者を見かけた女中が見た脚の描写と積み重ねることによってリアリティを増している。
この冒頭の謎には意外と早くネタばらしがあり、思ったより早く犯人視点の描写が出てくる。この犯人もまた変なやつで、どう変かというと異常に女にもてる。そこも犯人視点での、北海道の片田舎でスナックのママを引っかけるくだりや、犯人にほだされて警察を騙してまで仙台の七夕祭りで待ち合わせをする女中視点での描写で補完していく。
この作品で連城三紀彦が多用しているテクニックは二つ。
@設定や話の展開で現実味が薄い部分を描写力(特に心理描写)で補う。
A視点の切り替えや場面転換を多用し、その隙間に真相を入れ込む。
犯人が何のために、誰を、どのように、が仄めかされながらもぼかされたままで、そこに最後まで推理する余地がある。
ただ、作者の死後に連載が単行本にまとめられたという経緯の一冊なので、作り込みという点で惜しいところもある。
犯人は左右認識障害の兆候があるという描写が序盤に出てくるが、結局そこは序盤の1ミス以外では使われないし。
バラバラ死体遺棄の真相には意外性が足りていない。見たまんま、では「見立て」にはならない。
上記の二点は組み合わせて「見立て」を歪めるなどすれば簡単に修正できるだろうが、連城三紀彦にはもうその作業をする余力はなかったのだろう。晩年は親の介護に勤しんでいて、執筆作業はできなかったそうだ。
そう言った意味でこれを完成品として批評するのはフェアでないとすら思う。ただ出版した意義は買う。文章だけで十分完成品になっている。
犯人の幼少期の回想は特に素晴らしい。沖縄の暑さ、基地から轟く戦闘機の騒音、姉の友人の脚、性の目覚め、五感を全部刺激してくるようなすばらしい文章だった。
小説における文章力というのは、できる話の幅を広げてくれる翼なんだなとよく分かった。
女性観、女性心理という点では今の時代のリアルにはそぐわないかもしれない。ただ、まだ携帯電話もなかった時代。平成(連載していたのは1995年〜)から昭和の過去を描いたこの作品においては、十分に成立していると思う。
むしろその女性心理を男の刑事にも適用しているのがおもしろい。後半からサスペンスのテンプレートをなぞるように「切れ者刑事との対決」要素も入ってくるんだけど、その刑事がどんどんイカれていくんだよね。で最終的に唇を指でなぞると。よきよき。
ラベル:連城三紀彦