2023年05月30日

へび少女/楳図かずお

へび少女
楳図かずお



▼第1話/ママがこわい▼第2話/まだらの少女▼第3話/へび少女
●あらすじ/明日退院する母親から、北の病棟に“へび女”がいるという噂話を聞かされた弓子。その女には体中にウロコがはえ、口が耳元まで裂けているらしく、恐いもの見たさの弓子がそこに向かうと、病棟には檻に入れられた女性がひとり。見た目は母親にも似た普通の女なのだが、彼女は弓子に「カエルを持ってない?」と問いかけてきて…(第1話)。

ほんとは角川ホラー文庫で読んだけど表紙が怖いからkindle版で。
kindle版だと書かれた順番で載っているみたいだけどホラー文庫だと「へび少女」→「まだらの少女」→「ママがこわい」の順。なんでこの順で文庫に収まってるのかよく分からないんだよな。作中時系列なら「へび→ママ→まだら」の順だし。まだらはママの登場人物引き継いでるから読み味がだいぶ変わってくるだろうに。
という意味でもkindle版で読んだ方がよさげ。

「へび少女」
べた塗りの使い方がよいよね。冒頭の猟師とじいさんの陰影に満ちた濃い顔がもう怖い。
で次のコマではじいさんの顔も体も別人のように真っ白で影がないんだけど、これは光源の関係で「猟師の視点から見たじいさん」なんだよね。
でそれまでの影に満ちた視点がじいさんのものだったことが分かる。
じいさんは「しのばずの沼の主」の怖さが分かっているけど猟師にはまるで分からない。このギャップのある心理状態を、あくまで「光源」を用いて写実的に、隠喩で表現するのがすばらしい。1ページ目からもうすごい。

その後、利平を追いかけてきたうわばみ女が「ぬっ」と変身して襲い掛かるところも「電灯が切れている」から見え過ぎないのがよいね。神様視点じゃなくて誰かの視点で追いかけるのがホラーの基本なんだな。

うわばみ女は「蛇のうろこを食わせた人間を蛇にできる」能力を持っていて、執拗に洋子さんにうろこを食わせてくるのが嫌らしい。へび井戸から這い上がってきた洋子さんをもう一度投げ落とすのはもはやシリアスな笑い。

最後精神病院に流れ着いたのがうわばみ女か洋子さんか分からないところも気が利いている。

「まだらの少女」
ちょっと前にママになりすましていたへび女が、精神病院を抜け出して執拗に弓子を狙ってくる。無理やり弓子のトランクに入って、いとこの京子さんがいる田舎の村まで追ってくる。
今度はへび女も体調が悪くて余裕がないのでやたら直接的に攻撃してくる。も、怒れる村人(ホラーに於いては強キャラ)たちに焼き討ちされて敢えない最期を遂げる。
しかしへび女は「まむし治療の血清」と自分の血をすり替えて京子さんに注射させ、京子さんをへび化させることで弓子を狙い続けるのだった。なにかしらの分身がいれば意識の連続性は保てるらしい。
清子さんの家族ごとへびにしてとうとう弓子を――といういいところでまたも村人たちが集まってくる。この村人たち、とにかく機動力とよそ者への殺意が半端じゃない。やはり日本の田舎の村は暴力装置として優秀すぎる。チンパンジーかなんかの群れと一緒。
最後はなんかめでたしめでたしみたいな雰囲気出してるけど京子さんは散々だよなぁ。

「ママがこわい」
ママが入院している総合病院の北の奥の病棟には「自分をへびだと思い込んでいる女」がいる。
そう聞いた弓子はさっそく病院内を探検することにした。
見つけた牢屋みたいな病室の中にはママにそっくりの美人がいた。美人は弓子からカエルの絵が描かれた教科書を奪い取り、もしゃもしゃとページを咀嚼する。――そうしてカエル食べたさに発狂した美人――へび女は病室を抜け出し、そっくりの見た目をしている弓子のママに成り代わって退院するのだった。

この話のへび女は「カエル大好き」という可愛いよりの個性が追加されているせいか、純粋なホラーというよりはいくらかコミカルな筋立てになっている。
へび女を瓶詰のカエルで池までおびき出すぞ
→出ていったかな?家中の鍵をしめて入れないようにしよう
→実は家の中にいました
→ああ!鍵がかかってて出られない!(内鍵なのに?)
の知能バトル展開とか。
いや分かるんだけどね。昔のドアでなんか鍵が突っかかって開かなくなっちゃうのは分かるんだけどさ。鍵の開け閉めは擬音で済ませてるしドアの描写も簡素だから突っ込みどころではある。


ところで「へび少女」と「まだら」のへび女には「たばこのヤニが嫌い」という設定があって、これを元にしたおまもりが効果を発揮する。
蛇のたばこ嫌いは昔から人口に膾炙している伝承のようだ。
これについては非常によくまとまっているネット記事があった。

「タバコの怪談」はいつから存在するのか 【吉田悠軌の怪談一服】

1700年代の江戸時代から文献で確認できる伝承らしい。
『田能久(たのきゅう)』という落語が「タバコのヤニでうわばみ退治」の典型例だそうで。この記事に載っているあらすじだけでもおもしろそうで、ぜひ聞いてみたいなと思った。


posted by 雉やす at 17:06| Comment(0) | マンガレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月26日

叶うならば殺してほしい―ハイイロノツバサー/古野まほろ

叶うならば殺してほしい―ハイイロノツバサー
古野まほろ
講談社(2021年5月)



”真夜中の吉祥寺で発生した謎の火事。
被害家屋から、片手錠で固く拘束された女子高校生の遺体が発見される。
他にも男3人が死線をさまよう中、唯一無傷で確保されたのは、
その家に独り暮らししていたはずの被疑少年、T17歳。
Tが完全黙秘を貫く間、科学捜査を進めた警察は、
この家における女子高校生集団監禁の実態と、
彼女に2週間も加えられた言語道断の仕打ちを知り激昂する。
するとTは、その激昂を嘲笑うかのように完全黙秘をやめ、
自らの鬼畜の所業について雄弁な自白を開始するのだった……
取調べ官VS.被疑少年。命と誇りを懸けた一騎打ちの結末は。
元警察官が描く、慟哭必至の警察ミステリ。”

書き出しはむちゃくちゃウェットな監禁集団レイプ事件。が火事によって明るみに出るという流れ。
警察によって、犯人たちへの嫌悪感を搔き立てられるえげつない事件の要諦がまとめられていくんだけど、なんと報告を受けるのが箱崎ひかり。――え。まじかよ箱崎ひかりのシリーズものだったのか。という驚きがまずある。
というのも彼女は「常にゴスな服を身にまとった女管理官」というキャラものきわもの警察官なので。ウェットな監禁集団レイプ事件を担当するには異物感が強すぎる。酢豚にパイナップル、あさり噛んだら「じゃり」っと砂混じり。

これ、あまりに「装丁で損をしている」のではないか。
事前に箱崎ひかりを知らない人が読んだら、とてもじゃないが正当な評価は受けられないんじゃないのか。
だって序盤の段階では「事件の陰惨な内容と捜査する刑事のリアリティレベルが合ってない」んだもの。もちろんまほろだから最終的にはその食い違いが見事に噛み合っていくんだけど。初読でそこまで読んでくれる人が何割いるんだ?

講談社だったらライトよりの文庫もあるんだし、中村佑介(夜は短し〜のイラストの人)あたりにお願いして「箱崎ひかり」シリーズみたいな形で売りだせないものか。で、キャラもの系かな? と思った読者に監禁集団レイプ叩き込んだらそれが「意外性」になってページをめくってくれるんじゃないの。
情報の出し方が逆だって。一度集団監禁レイプ要諦描写で読書感を最悪なところまで叩き込んでから、キャラもの刑事たちのぞなぞな会話を楽しむのは、さすがに厳しいものがあるぞ。俺にも無理だったわ。

中盤からハコ管理官の推理(被害者・加害者の基礎捜査パート)によって事件がアクロバットな因果関係で繋がれていき、いわばいい意味でハコ管理官がリアリティレベルを自分の方に引き寄せてくれるので、そこからは違和感なくおもしろく読める。

被害者少女の心理については断定されすぎないようにかなり気を使って「灰色」に描かれている。真なる意味で「許されない恋」ではあるから。


ただ、俺が少年だったら警察は裏切るかな。
この少年には「親の仇を取る」という発想がない→「行動するに際して親への優先度があまり高くない」んだから、
「親の将来」なんて今さらも今さら、中途半端に気にして取引するより、恋に殉じて、
彼女を加害したすべての者に、炎上したまま抱き着きに行ったほうがよかったのではないかと思う。
週刊誌にやつの名前出すだけでできることだし。
不満があるとするなら「警察が痛い目に合ってない」こと。その一点。あとはよし。

ラベル:古野まほろ
posted by 雉やす at 00:15| Comment(0) | 書評(ミステリー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月15日

時を壊した彼女―7月7日は7度ある―/古野まほろ

時を壊した彼女―7月7日は7度ある―
古野まほろ
講談社(2019)



”何度、何度、何度くり返しても彼の死だけが変わらない星夜の学校を襲った悲劇と、くり返す夏の日。命がけの青春を、私達は生きている。運命と戦う高校生達のタイムリープ×本格ミステリ☆☆☆7月7日。部活仲間5人のささやかな七夕祭りを、謎の爆発が襲った。その爆発は、部長を激しく吹き飛ばし殺害してしまう。原因は、未来からきた少女2人。彼女らはタイムマシンをハイジャックした挙げ句、爆発させてしまったのだ。部長の理不尽な死をなかったことにすべく、彼らは協力して過去を書き換えようとする。だが、時を繰り返すたび、なぜか犠牲者は増えていってしまい──遡れるのは計7回、無限に思える選択肢。繰り返す青春の1日は、命がけだ。”

タイムループもの。
基本的には「体ごと」のタイムスリップではなく、「記憶を引き継いだ脳内情報だけ過去に戻れる」というもの。しかし記憶を引き継いで戻ると脳内に「クロノトン」という毒素が溜まって死ぬ。これは「トリクロノトン」という物質を事前に注射することで防げるが、その量に限りがある。その限界から導き出した回数制限が7回ということ。

この辺りの「縛り」を作るための設定が大味。
特に「脳内情報だけをタイムスリップする」はずが「機械&体ごとタイムスリップしてしまった」という最大の謎が処理されないのが、フラストレーションが溜まる。
「今からタイムループものでミステリやります。ルールはこれ!」というルール説明以上のものになっていない序盤の作文とSF要素の半端さ。オリジナル毒設定も単品だといまいち。のちにミステリーの中に組み込まれるからおもしろくはなるけど。硬派なSF読みがまほろ初読で読んだらこの辺で切られちゃうとは思う。それはしょうがない。

ただそこはまほろだから。
ルールの中で穴ついて展開して解決して〜という一連の流れはきちんとおもしろい。
けど、ミステリーだから。
悲しいことに、「キャラクターの心理描写のかなりの部分を隠さなければならない」というのが、「青春SF」とむちゃくちゃ食い合わせが悪い。悪いんだ……。
感情移入できるキャラクターがろくにいない。
「え、こいつ状況次第でこんな突飛な行動するの?」という驚きがいくつも用意されてはいるんだけど、納得感が……。
例えば「なんかこいつ裏で無茶苦茶凶悪なムーヴしてない?」って薄々わかる子がいるんだけど、その子が「実は凶悪でした!」って種明かしされたとしても――。
「なんかこいつ片思いしてない?」ってやつが、「実は片思いしてました!」って種明かしされたとしても――。
「その想いを描写できない」から、「その動機でそこまでやる?」という違和感が目立ってしまう。
真相解明後の「告白」だけでは凶悪ムーヴに見合うだけの感情移入ができない。それは、無理だ。前振りがないんだもの。

(例えばね。古畑任三郎で一番おもしろいところはED前の、古畑に白旗上げた後の犯人の心情の吐露じゃん。「告白」だよね。
でもなんでそこで視聴者がしんみりするかというと、そこまでの流れがあるからでしょう? 犯人の視点で、犯人の気持ちになって、頑張ってトリック考えたけど古畑に追い詰められていって――というきれいな感情移入の流れがあるからじゃないっすか。前振りとして。
「本格」だの「パズラー」だの気取って駄作量産してるミステリー作家は古畑見て倒叙もの書いて思考矯正した方がいいよ。「人間が書けてない」ってのはつまり「動機と行動が見合ってない変な人」を書いてしまっているってことだから。有栖川有栖もインタビューで言ってるでしょう「常識」が一番大事なんだよ。「他のジャンルではできないようなイカれた心理(動機)描写」が書けるのがミステリーの魅力って言ってたのは誰だったかな。殊能将之だっけ。あれも逆説的だけど同じ意味でしょう)。

ただそこはまほろだから。
ここまで食い合わせが悪い素材を取り揃えてもまとめてくる。
SFお約束の「世界設定そのもののどんでん返し」を真犯人の動機と被せて披露するところは非常にポイントが高かった。ここで初めて感情移入が発生した。この話でまともなの真犯人だけなんですよねえ。という気持ちになった。

――もうほんとね、人間関係が終わってるよこの吹奏楽部。各ループごとのフィードバックがグループでできないのは本当によくない。なんで「各自反省」して次のループでスタンドプレイするんだよ。攻殻機動隊かお前らは。
「お前今のループなにしとってん役立たず」ってちゃんと詰められないから悲劇が繰り返されてるだけなんだよなぁ。男女入り混じる部活ってこんなドロドロになるんすね。やですねぇ昼ドラみたいで。

まほろにしては習作(エチュード)だけど、難しい題材に手を出してるからこれはしょうがない。チャレンジ精神。
手堅いミステリーならいくらでも書ける人だからね。
ただ昔からいた「天帝シリーズのSF要素いらなくね?」派はこれを読んだら勢いづくだろうな。俺は好きですよSF要素。


ラベル:古野まほろ
posted by 雉やす at 16:39| Comment(0) | 書評(ミステリー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村