2015年11月28日

川は静かに流れ/ジョン・ハート

川は静かに流れ
ジョン・ハート
東野さやか(訳)
ハヤカワ文庫




”「僕という人間を形作った出来事は、すべてその川の近くで起こった。川が見える場所で母を失い、川のほとりで恋に落ちた。父に家から追い出された日の、川のにおいすら覚えている」殺人の濡れ衣を着せられ故郷を追われたアダム。苦境に陥った親友のために数年ぶりに川辺の町に戻ったが、待ち受けていたのは自分を勘当した父、不機嫌な昔の恋人、そして新たなる殺人事件だった。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作。”

 出来のいい悪いで言うならものすごく出来がいい。とりわけ序盤、アダムが故郷の景色に焦がれつつも人間関係に絶望している様がよく描写されている。義母に殺人犯だと証言され、裁判で無罪だと判決は受けたものの家庭環境は崩壊し、地元中から今も疑われ続けている。――設定だけ抜き出すと極端なほどのシチュエーションだが、それを成り立たせるだけの描写がある。女警官ロビンとの語らいなどを通じて事件の情報を小出しにしつつ、ゆったりとストーリーが進んでいく。母の自殺、義母の偽証、友人ダニーの失踪、美少女グレイスへの襲撃事件など、気になる謎を散りばめていって、やがて見つかったダニーの死体によって話が一気に展開する緊張感がよい。
 起承転結で言うなら起承転までは素晴らしいんだけど、もう少し最後に何かなかったかなとも思ってしまう。犯人像については義母の態度からある程度察することができるんだけど、犯人分かっていても楽しめるタイプの小説だと思っていた。でも実際に対決する場面になると、なんだか拍子抜けしてしまった。肝心の犯人についての描写の積み上げが薄いというか、肉付けが十分じゃない。
 メインの謎というわけじゃないけど、グレイス襲撃事件についての処理はつじつま合わせだし。そもそも筋力的に犯行は可能なのかとも思う。やはり肉付けが十分じゃない。
 ミステリーというよりは、きちんと収まりのつく出来のいい昼ドラと思って読むと間違いがないと思う。もっとミステリーとして根を詰めようとしたらいくらでも出来たと思うんだけど、たぶん入り組んだ家族関係を書くのが楽しすぎて、雰囲気壊したくないからやらなかったんだろうね。

 
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2015年11月26日

遺伝子捜査/ポール・モーンズ

遺伝子捜査
ポール・モーンズ
中村三千恵(訳)
二見書房(1996)



"一九八七年十二月、バージニア州アーリントンで残虐なレイプ殺人事件が起きた。死体は全裸のうえ、手を後ろ手に縛られ、首にはロープが巻きつけられていた。強盗殺人課刑事、ジョー・ホーガスはこの事件を捜査するうち、数年前に類似の殺人事件があったのを知る。また同じ頃、マスクをした黒人レイプ犯が頻繁に出没していたことも知る。そんな折、アーリントンから遠く離れたリッチモンドで同じような手口の連続レイプ殺人が起きる。はたして、同一犯のしわざか。やがてある黒人男性が容疑者として浮かびあがるが、決め手には欠けていた。米国では殺人事件にDNA鑑定が用いられたことはなかったが、ジョー・ホーガス刑事はDNA鑑定に犯人逮捕の最後の望みを託す…。全米裁判史上初めてDNA鑑定が犯人を死刑台に送った連続レイプ殺人事件の真相。"

 ノンフィクションノベル。FBIがプロファイリングを外したり、軽度の知的障害者を誤認逮捕して無理やり自供させて刑務所にぶち込んだりと、警察の残念っぷりがけっこう凄まじい。DNA鑑定の素晴らしさと同時に、それ以外の決定的な証拠を警察がまったくあげられなかったという事実を晒しあげている本でもある。容疑者を尾行中の刑事が容疑者の連れの万引きを現行犯逮捕したせいで容疑者に警戒されてしまうくだりなんか、まるで踊る大捜査線の「事件に大きいも小さいもない」の場面そっくりだ。
 DNA鑑定の科学的な側面の解説はほぼないし、犯人の動機、とりわけ手を後ろ手に縛った上でじわじわ絞殺する殺し方をする理由についても究明できていない。読んでて手応えがなさすぎるので、これでもしDNA鑑定が間違ってたらどうするのといくらか不安に思ってしまう。足利事件の例もあるし。
 フィクションなら落第点なんだけど、ノンフィクションなんだよなぁ。事実って怖えなぁ。

posted by 雉やす at 00:21| Comment(0) | 書評(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

決闘は血を見てやめる/カトリーヌ・アルレー

決闘は血を見てやめる
カトリーヌ・アルレー
鈴木豊(訳)
創元推理文庫(1975)





"洋装店の売娘パトリシアは金まわりのいいアメリカ外交特使と知り合い、彼がパリに来たときの秘書兼恋人役を引き受けることになる。若い彼女にとって恵まれてはいるものの、男を待つだけの退屈な日々がはじまった。そんなときパトリシアは旧友に再会し、不思議な魔力を持つという女預言者の存在を知った。果たして自分は幸福だったのだろうか? 名作「わらの女」の作者アルレーが意表をつくトリックで読者を堪能させるサスペンス”

 金持ちの愛人になって豪邸でぬくぬく愛人生活をしていたパットちゃん。退屈な日々を暮らすうちに旧友と再会し、女預言者に「素敵な恋人と出会います」と予言され、すぐさまナンパ男アルベールが現れて一夜の過ちを犯すも、イタ電ストーカーと化したアルベールに付きまとわれて進退極まってしまう。旧友に相談すると「もう一度女預言者に相談よ!」という流れになり……。

 女性作家だけあって、パトリシアの心理描写、起こっていることに対する反応、彼女なりに一生懸命な男女の駆け引きにリアリティがある。冒頭p31”「彼女は自分の唯一の武器を使った。いつでも相手の言いなりになるという武器である」”という一行など、端的にその長所が表れている。
 パトリシアの心理を丹念に追っていくと、その先に占い師アラがいる。パトリシアの視点で見るとアラの予言はたしかに当たるし、予言にしたがって行動することにもさほど違和感を覚えない。
 ところが終盤、警察官の視点から彼女がやってしまったことを振り返ると、悲しいほどに滑稽な行為に思えてしまう。この主観と客観のギャップがこの小説のおもしろみだ。ギャップが成り立つためには主観の心理描写にしっかりと読者を引き込むことが必要だが、十分にそれができている。
 
 ただまあ、読み終えてしまえば安っぽい陰謀論タイプの小説ではある。もしJ・ディーバーが似たような話を書いたなら、アクシデントの一つや二つ起こして、犯人とはまた別のトリックスターなども用意して、もっとこねてこねてこね回しておもしろくしただろう。ブラック・セプテンバーの名前もフレーバー程度に出てくるが、当時の流行りもの使ってみました以上の意味はなさそうだ。

 鼎談風の訳者あとがきがけっこう趣深い。「ミステリーは勧善懲悪的であるべきか」とか「犯人の計画が寸分の狂いもなくうまくいってはリアリティが出ないのではないか」とか。当時のミステリーマニアがいちゃもんつけてくるんだろうなと推量できるような論点を、先回りして「どうどう」となだめているところに時代を感じる。
 作者のアルレーは創元の既刊目録だけでも11冊も訳が出ている。昔はけっこうな人気だったようだ。
 時の試練に耐えるほどおもしろくはない。でも、シンプルで、古臭くて、悪くない。そんな感じの一冊だった。

posted by 雉やす at 00:00| Comment(0) | 書評(ミステリー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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