徳川家康 全26巻合本版 (山岡荘八歴史文庫) - 山岡荘八
子供の頃一番好きな作家は山岡荘八だった。
題材は信長、秀吉、家康といったメジャーどころだし、文章が難しくなくて、会話がおもしろい。
この「おもしろい」というのは単に「感情移入できる」というだけではなくて、もっと構造的なものである。
山岡荘八のストーリーテリングは「ディスコミュニケーション」が基本だ。
山岡荘八の小説に出てくる武将たちは、とにかく「思っていることをそのまま言わない」のである。
それは部下の前での対面のためだったり、貫きたい意地のせいだったり、あるいは思慮が足りないだけだったりと様々な理由があるのだが、とにかくよく誤解される。その誤解から戦争が起きたり、処罰や切腹に繋がったりと、話が転がっていくことが多い。
それの何がおもしろいの?と思われる人も多いだろうが、この「誤解」ベースのストーリーテリングには大きなメリットがある。
「悪者」「悪意」に頼らなくても争いが起こせるのである。
何年もマーベルの映画やらヒロアカやら見てると、うんざりしません?
「正義VS悪」の二項対立を捻ってこねくり回してぎゃーぎゃーと、「ダークナイト」でよくないですか、みたいなテーマをずっとやるやん。
なんか他に話の作りようってないの?
「悪者」立てて美味しくいじらないと話転がせないんですか?
って思いません?
山岡荘八はきっと思ってたんでしょう。勧善懲悪の時代劇なんざかったるい。
ではどうする? となったときに、卑近でリアリティがあり、現代人にも分かりやすい題材を彼は時代小説に導入したのです。
「なんか何言ってんのかよく分からない社長(大名)!」
「はっきりものを言わない上司(武将)!」
「誤解する部下(近習)!」
「起きる騒動(戦い、乱、謀反)!」
「広がる損害(討ち死に)!」
「誰が責任取るねん!」
「俺か? お前か? 知るか!」
「はいクビ(切腹)!」
という一連の流れ。「誤解」ベースのストーリーテリングを。
これがね、いいのよ。なんか飽きないの。「あーはいはい」ってならないの。もどかしくてたまんないの。
でも視点によっては、言い分が登場人物どころか、読者にまで伝わらないこともある。
そういうときは賢い配下の切れ者に、「この意味はわかるであろうな?」と無茶ぶり気味に解説をさせることも多い。
そこで切れ者たちが、「言葉の裏に込められた想い」やら「真の狙い」やらはっきり読者にも分かるように解説してくれたりね。
で実際、「おー賢い!」「いや、まわりくどすぎるだろ!」ってなるのもお約束だったりする。
そんな山岡荘八の生涯最大の大著が「徳川家康」で、全26巻もある。
全部読んでるわけじゃないけど、古本屋で見かけるたびにちょくちょく買い集めていた。その生き残りの24巻〜26巻をこの間から読んでいる。
25巻までを読み終わっての感想は、いよいよ「誤解」が「悲哀」にまで進捗しつつあるなと思った。
時は「大坂夏の陣」、権勢を掴んだ家康も、齢70を迎えさすがに老いた。
将軍職は息子に譲り、あくまで大御所としてではあるが、それでも政には関わり続けている。「天下泰平」、あと少しまで迫った戦なき世を実現するために。
そんな老いた家康には、「天下泰平」とは別に、ある真心があった。
豊太閤(秀吉)との約束であった「豊臣秀頼」の命を助けようと目論んでいたのだ。冬の陣に続けて、二度目の反乱を起こされてなお。
「俺は今川氏真も許した。かつて長男(徳川信康)を切腹に追い込んだ織田信長のせがれ(信勝)も許した。ここで秀頼だけを死なせることはするまいぞ」と、至極まじめに、生涯貫いた「堪忍」という意地を貫こうとしているのである。
しかしその家康の真心は、周囲の人間に伝播されることはない。
家康以外の誰にも、意味が分からない。
「天下一の大阪城に浪人を呼び込んで二度も反乱を起こした」大罪人を許す意味が分からない。
「御隠居様は千年に一人いるかの大人物、まことの大樹」と口々に褒められ、敬愛されているのだが、その真心までは伝わらない。
「老いて優しくなられた」と思われ、遠巻きにご機嫌を伺われているばかりである。
いちおう「家康の理屈」をトレースしている登場人物もいる。「無刀」の極意を会得した柳生宗矩は柳生の高弟を秀頼の傍に送り込み、秀頼と淀殿が命を落とさないよう努力をしている。――彼は山岡荘八のお気に入りであり、唯一「家康の心境」まで達することができる同士である。とはいえ将軍(秀忠)お傍仕えの身、家康と直接接する立場ではない。
だから部下たちは、いやそれどころか読者までもが。こう思う。
「嘘くさい。ごちゃごちゃ殺したくないと老いのわがままを言っているが、戦なき世と言うのなら、後の世のために豊臣は滅ぼすべきだろう」と。
――切々と家康の心情描写はされているのにも関わらず、高みにいる彼の真心は、理解しきれない。不十分に、「誤解」を通してしか、我々は家康を理解できない。不思議とそのようになっている。
そんな部下と読者の心を知ってか知らずか、自らの真心に急かされるように家康は危険な「茶臼山」に布陣する。
対するは真田幸村。彼は家康の野心「天下泰平」のカウンターパートとして描かれている。「この世に戦はなくならない」というのが幸村の信条である。戦なき世を嘯くなら俺を殺してみろ、と言わんばかりに家康に攻めかかる。
少し話がそれるが、山岡荘八は合戦描写も非常にうまい。「嘘食い」読んでると「え、立会人のバトルパートの方がおもしろくない?」と思うじゃないですか。あれと同じ感覚に陥る。
合戦が始まってから武将が首取られるまでの一連の流れが臨場感にあふれている。
25巻でも大阪方の「塙 団右衛門」「後藤 又兵衛」「木村 重成」といった各将の散り様が見事に描かれている。
彼らの史実の行動を抜群の心情描写で彫刻のように掘りぬいているのだ。(こういう性格の将だから、こういう「事前の計画」をした、それに対して、こんなトラブルが起こったのでこうなってしまった、という「思わぬ結果」がきちんと対応している)。
それに比べると、幸村の最後は、アンフェアと思うくらいにあっけない。山岡荘八はやはり悪役を描くのは筆が乗らないのだろう。あんなにエモい幸村の最後をこんなに冷淡に書くのかと驚くほどだ。
冷淡さは、唐突に、秀頼と淀殿にも向けられる。
家康の意を十分にくみ取れない家臣たちによって彼らは隠れていた曲輪で切腹に追い込まれるのだが、その今際の際のシーンがまさかの「省略」である。
見つかった死体の描写の冷たさと言ったら――。
それまで、幸村たち配下の視点内では気にも留められなかった「淀殿の老い」と「秀頼の醜い肥え太り」が、ここで、客観的な死体の描写として付記されるのか……。
それはまるで、家康の妄執の夢が醒めるような、それも冷や水かけられて醒めるような、冷淡さだった。「許されるべきでないものを許す」という善性の妄執が、その「許されざる者たち」の醜さで拭われてしまったのである。
冷淡さは家康に憑依し、身内に向かう。
大坂夏の陣の後、家康は、息子の松平忠輝を、その兄である秀忠に直談判してまで、将軍家に処分させようとする。
その前に家康と忠輝は長い会話をするが、視点は忠輝寄りで描かれる。忠輝は家康が「腹を割って話していると誤解し」、舅である伊達政宗と意気投合した海外との交易、抗争の話を開陳してしまう。
それは合理的な政策だった。しかし、家康が人生をかけてようやく実現できた「天下泰平」を損ないかねないものだった。
だから、処分する。
秀忠はそれを受け入れた。
しかし、「秀頼を殺して身内に甘ければ天下に対して示しがつかない」という家康の理屈を受け入れるということは、
秀頼の妻である千姫や、秀頼の遺児である国松もまた処分するということだった。
そのことに気づいて動揺する家康の顔は、さながら有名なイヴァン雷帝の絵画のそれである。
「誤解」を通り越した「悲哀」――もはや理解できないところまで到達してしまった家康が行う「子殺し」を、誰もトレースできない。秀忠も、読者も、柳生宗矩にだってできるか怪しい。もう「無刀」の段階も通り越して我が子を喰らっているのだから。
今読んで改めて思ったのだが、「徳川家康」だけは毛色が違う。
織田信長も豊臣秀吉も、娯楽小説としてすばらしかった。桶狭間、墨俣一夜城、今でも文面が思い出せるほど活き活きとしていた。
だが家康だけは、文学の領域に踏み込んでいる。ドストエフスキーみたいな読後感になりつつある。
26巻を読むのが少し怖い。ここまで極まってしまった神君が、てんぷらを食って能天気に、幸せに死ねるはずもない。
厭離穢土欣求浄土……。せめて安らかに逝ってほしいものだが、果たして――。